自由主義的な精神で教育活動に取り組んだ江原素六
毎年100名近くの東大合格者を出す、全国でも屈指の名門校「麻布高校」。この麻布高校の創設者は江原素六(えばら そろく)という人です。
江原は、幕末に江戸で生まれました。家庭は貧しかったものの、本人の努力や周りの協力もあり、幕府の軍事教育機関で指導者となります。明治維新後は静岡に移った徳川家と共に沼津に移住。沼津兵学校の設立に参加し、運営も担います。また、欧米への視察団の一員として渡米し、産業や教育の視察も行いました。
江原が帰国する頃には廃藩置県により静岡藩は消滅。沼津兵学校も東京に移転していました。江原は沼津で様々な事業を手掛けます。県から許可を得て沼津にある愛鷹山(あしたかやま)のすそ野の土地で桑やお茶を栽培。肥料を手に入れるため牧畜業も始め、混合農業を行います。また、当時外国人商人に独占されていたお茶の輸出ですが、江原は直接アメリカへ輸出することにもチャレンジします。
愛鷹山のすそ野の土地は農民たちが共同で利用していましたが、明治の初めに国有化されてしまいます。困った農民たちは江原に明治政府との交渉を依頼。江原は再び民有にする運動を粘り強く展開していきます。
チャレンジと自由を求める精神で、教育活動にも政治活動にも熱心に取り組んでいった江原素六。
自由民権現代研究会で詳しく取り上げましたので、ぜひご一読ください。