医師としても民権家としても地域に貢献した窪田次郎


自由民権運動の活動家は豪農や武士が多かった中、民権活動に参加していた医師がいました。窪田次郎です。彼は現在の広島県福山市加茂町にあった粟根村で生まれました。故郷で村医となり、人々から厚い信頼を得ていました。

ペリーが来航して時代が大きく変わる中、窪田のいた福山藩でも人材育成そして日本の国力向上を目指した新しい藩校が作られました。しかし、財政上の理由から藩内全域での実施とはならなかったため、窪田は身分や貧富、性別に関係なく子供たちが学べる教育機関「啓蒙所」を設立しました。彼は出資を募って運営組織を作り、地元の民間の力で運営を行いました。事業開始から半年以内には、藩内の約3千名の子どもたちが学んだと言われています。

その頃、中央政府は立憲政治の方針を明らかにし、大審院の設置や地方官会議を開催することも宣言されていました。窪田は地方官会議でより民意が反映されるために、民選議院を開催し県民の意見を十分把握するよう、現在の県知事にあたる権令に願書を提出します。そして窪田の具体的構想に基づいた画期的な民選議院が開かれることとなったのです。

民意を尊重することを常に訴え、民間の力で組織を作り、活動を行った実行力のある窪田次郎。

自由民権現代研究会で詳しく取り上げましたので、ぜひご一読ください。

自由民権運動の壮士たち 第9回 窪田次郎(広島県)