法理を通して地租軽減運動を率いた杉田定一


明治時代初期の税制の大改革「地租改正」。財政収入を安定させるため土地から得られる収益に基づいて地価を定め、その3%を地租として土地所有者に現金で納めさせるという方法です。

土地の収穫量の算定作業は農民が行うものとされましたが、この方法では大幅に歳入が減ることがわかり、政府は方針を変更。農民が算定した収穫額がそれまでの額より低い場合は、政府が独自に算定した額を村に押しつけることとしたのです。

江戸時代の年貢率が低かった地域では地租は大幅な増税となり、農民は大反発。ちょうどその頃、現在の福井県に位置した敦賀県は嶺南と嶺北の2つの地域に分割され、嶺北の増税となる地域では事業が難航。それでも政府は独自の査定額を承服するよう村々に強要します。嶺北地域で承服しなかった村は「徹底不服村」と呼ばれ、「地租軽減運動」が一貫して継続されることとなりました。この「地租軽減運動」の理論的リーダーとして登場したのが杉田定一でした。

嶺北地域で生まれた杉田定一は、陽明学を学んだ父の影響を受け、外国の学問を学び、自由民権運動に参加。自由民権運動を規制する条例に違反し投獄されるも、出獄後なお地租軽減運動に参加し、法理を通して農民の主張の正当性を明らかにし、農民と共に戦います。

自由民権現代研究会で詳しく取り上げましたので、ぜひご一読ください。

自由民権運動の壮士たち 第8回 杉田定一(福井県)