同志社を大学へと発展させる基礎を築き上げた湯浅治郎


同志社といえばその創立者として新島襄が有名ですが、新島亡き後、彼の精神を引き継ぎ、同志社に人生を捧げた人がいました。湯浅治郎です。

湯浅は幕末に現在の群馬県安中市で生まれました。その頃、日本では生糸が輸出品の中心で、養蚕が盛んであった安中の町は好景気を迎えていました。

湯浅の家は味噌やしょう油の醸造・販売を行っていました。湯浅は15歳で家業を継ぎ、養蚕・生糸事業にも力を入れます。そして得た利益でアメリカの本や新聞、福沢諭吉の本などを買い求め、更に私設の図書館を開き、集めた書籍を人々に無料で公開します。そうして仲間と共に欧米や経済の知識を広げていきました。

その後、湯浅は新島と出会います。安中に家族がいた新島は安中を訪れ、滞在中に西洋文明やキリスト教を伝える講演活動を積極的に行いました。この講演をきっかけに湯浅はキリスト教信仰の道に入り、そして教会を設立し、自分たちの力で運営します。

経済的にも精神的にも自らを確立した湯浅は、社会的事業に更に取り組みます。日本鉄道株式会社の役員となり、日本で初めて民間による鉄道の開設を目指して奔走します。

後に同志社に活動の場を移し、自治と自立を求める強い意思を原動力に、同志社を支え守った湯浅治郎。

自由民権現代研究会で詳しく取り上げましたので、ぜひご一読ください。

自由民権運動の壮士たち 第6回 湯浅 治郎(群馬県) 同志社の基礎を築いた男