仁徳天皇の残された民本主義の精神(寄稿:上田大輝)
皆さんは仁徳天皇をご存じだろうか。応神天皇の第4皇子で父帝の死後、16代天皇となられたお方である。
仁徳天皇は記紀に残されたご事蹟から
「聖帝(ひじりのみかど)」とも呼ばれる。
なぜ聖帝と呼ばれているのか。それは「民の竈」という逸話からきている。
即位後4年経ったある日、仁徳天皇が高台に登り町を眺めてみると、民家から炊煙が上がっていません。
そこで天皇は民の窮乏を察し、3年間の”無税”を宣言されました。
そして3年後、高台に登って町を眺めてみると民家から炊煙が立ち上がっています。
しかしそれでも天皇は税を取ろうとしませんでした。
さらにそれから3年後、仁徳天皇がついに税を取ることを許し、宮殿の修理を民に命じたところ、民は自ら率先して修理に励みました。
これがざっくりとした「民の竈」の内容である。
私はこれを日本の民本主義の始まりと位置づけている。それはどういうことか。吉野作造は「憲政の本義を説いてその有終の美を済すの途を論ず」の中において、民主主義と民本主義の違いについて、こう述べている。
一つは「国家の主権は法理上人民にあり」という意味に、またモ一つは「国家の主権の活動の基本的の目標は政治上人民に在るべし」という意味に用いらるる。この第二の意味に用いらるる時に、我々はこれを民本主義と訳するのである。
(中略)
しかして従来通り通用の民主主義という訳語は、この第一の意味を表すにあたかも適当であると考える。
(出典 憲政の本義 吉野作造デモクラシー論集)
つまり政治の結果が民主的であることを求める思想が民本主義で、政治の手段が民主的であることを求める思想が民主主義であると吉野は定義したのである。もちろん両者とも議会の存在を前提とした議論であるが、民本主義の精神の元は「民の竈」に辿り着く。
吉野は「皇室のためと人民のためと、相逆うことは絶対にないと信ずる。」とも述べている。
これは仁徳天皇の「民の竈」の精神を皇室が守り続けてきた、そのことを吉野が理解していたからこその議論であろう。
また吉野はこうも述べている。
かく考えてみれば、民本主義が制度として十分に人民理福の尊重を力説するのは、我が国においてすこしも不都合を見ない。
つまり、民本主義は日本の国体には反しないということである。さらに言えば、官僚の省益や政治家の利権の為に政治を行っている現在の日本の政府は国体に反する国賊であり、民本主義を阻害する国民の敵なのである。
仁徳天皇は「民の竈に煙は立っています」という役人の言葉を無視して6年の無税を行われた。今の政治家に見習ってもらいたい限りである。
最後に仁徳天皇が無税から3年後、仰せになられたお言葉を紹介して終わりたいと思う。
「其れ天の君を立つるは、是百姓の為になり。然れば君は百姓を以て本とす。是を以て、古の聖王は、一人も飢ゑ寒ゆるときには、顧みて身を責む。今百姓貧しきは、朕が貧しきなり。百姓富めるは、朕が富めるなり」
コチラもぜひご覧ください。