村の自治と自立のために人生を捧げた桑原重正
長野県と新潟県の県境の山間の村で、かつて40年間村長を務めた人がいました。彼の名は桑原重正。江戸時代の終わりに現在の津南町秋成区にある雑貨屋の家庭で桑原は生まれました。
彼は少年期に陽明学を学びます。陽明学の教えは「知行合一(知識と行動の一体化が大切である)」という考えで、この考えは幕末期に活躍した青年たちに大きな影響を与えました。後に桑原にとっても、この考えが自由民権運動の思想的な基盤となっていきます。
桑原は家業の雑貨屋を始め、事業を手広く行い、地元の経済発展に尽くします。ちょうどその頃、世の中では国会開設を求める運動が盛り上がっており、新潟県でも国会開設を要求するための組織が作られます。
桑原は経済活動の一方、地元で演説会を始めます。徐々に参加者が増え、それに伴い演説会を基盤とした「中津共同会」という政治結社を結成。そしてその後、桑原の活動の甲斐あって、新潟県内には複数の地域政党が作られます。桑原は地域政党を一つの勢力にまとめて発展させるため、一層積極的に活動を行っていきます。
集会や言論、出版の自由の必要性を熱く訴えながら、津南の地で自治と自立の精神を具体化していった桑原重正。
自由民権現代研究会で詳しく取り上げましたので、ぜひご一読ください。