富山の英雄・米澤紋三郎を生んだ分県問題と自由民権運動の精神
富山の分県運動が発生した要因は、三つあります。一つ目は、地域性を無視した廃藩置県によって持ち上がった、治水問題です。廃藩置県を実施した結果、富山県は石川県に併合されますが、治水対策が不十分な旧富山県では、洪水が頻繁に発生し、住民の生活を脅かしました。
旧富山県の人たちは、治水対策を訴えますが、道路建設を主張する旧石川県の人たちとの間で、税金の使い方について意見が真っ二つに分かれてしまいます。次第に旧富山県の人たちは廃藩置県に対して不満を持つようになり、分県を求める声が高まりました。
二つ目は、自由民権運動の広まりです。運動を牽引した板垣退助らが政府に提出した建白書には、納税者が税金の使い方を決める権利が盛り込まれていました。この考えに共鳴した旧富山県の有志達は、「富山県民による治政」を目指し、分県運動を活発化させて行きます。
三つ目は、県民のために立ち上がった有志達の存在です。彼らが行動したことによって分県運動が沸き起こりました。富山県西部では、有志達がグループを結成して分県運動を盛り上げていましたが、その中には後に、「分県の父」と呼ばれる米澤紋三郎の姿もありました。
自由民権現代研究会で詳しく取り上げていますので、ぜひご一読ください。