弾圧に屈せず福島県の自由民権運動を牽引した佐治幸平
板垣退助たちによって民選議院設立建白書が出されたことを機とし、自由民権運動は始まりました。
福島県でもこの運動は盛んになりましたが、役人がその運動の弾圧と共に、道路拡張工事を強引なやり方で進めます。自分たちの意見が全く反映されず、住民は反発し、民権家たちがその不満を吸い上げ、民権運動は増々盛んになっていきました。
まだ21歳の若者であった佐治幸平は、民主主義に基づいた主張をしながら地元の自由民権運動のリーダーとして活動していきます。民権家たちを襲撃する暴力事件などが起こりますが、佐治は屈せず、訴訟を通じて、腕力に訴えない方法で工事への反対を主張し続けます。
佐治は民主的な道路建設工事の実現を目指し、道路工事の担い手となる農民の権利を守るために「権利回復同盟」を結成し、農民の希望を実現させるという確固たる方針に基づき活動します。
農民大衆としっかり結びついた運動は一層盛り上がっていきますが、そんな中、民権家たちが官吏侮辱罪で逮捕され、権利回復同盟の指導者であった佐治も逮捕されてしまいます。
民主主義の確たる理念に基づき活動し、初の平民出身市長となり、福島県に大きな功績を残した佐治幸平。
自由民権現代研究会で詳しく取り上げましたので、ぜひご一読ください。