ややリバ的に憲法判例を考える ~サラリーマン税金訴訟~ (寄稿:小川一樹)
「今日も減税、明日も減税、令和の大減税!」
新型コロナ以後の景気回復の重要なポイントとして減税政策、特に消費税減税があることは疑いのないことでしょう。
しかし、第201回通常国会の会期終了予定日である6月17日(延長がなければ)の少し前にこの原稿を書いているのですが、消費税減税の具体的な動きはNHKから国民を守る党と日本維新の会にあっただけで、自民党の「日本の未来を考える勉強会」会長である安藤裕衆議院議員や「日本の尊厳と国益を護る会」代表である青山繁晴参議院議員等の消費税減税の動きは、大方の予想通りに単なる「ガス抜き」となってしまい、実行される可能性がほとんどないのは残念なことです。
そもそも(一般的な)リバタリアニズムからすれば、消費税を始めとする税金はどのように考えることができるのでしょうか?自由経済市場を前提として、国家が企業及び個人の経済活動に干渉することに反対していますので、税金や社会保障、公共事業等に代表される国家の「富の再分配機能」(市場機構により決定される所得の分配を何らかの目的に基づいて分配し直すこと)も当然、否定的な立場を採用することになるでしょう。
簡単に言ってしまえば、再分配機能は人の富を勝手に取り上げ、勝手に他人にあげてしまうということであり、著名なリバタリアンであるロバート・ノージックは、税金は「人々が生み出した価値を巧妙に掠めとる許し難い行為であり、人々を強制労働に従事させている」と痛烈に述べています。
勿論、国家の役割を「夜警国家」(国家の機能を安全保障や国内の治安維持等、最小限の役割に限定した国家)と限定したとしても、それを維持する徴税は否定しないでしょう。としても、それ以上の徴税に関する法律等は厳しく見る姿勢をとると考えられます。
さて、そこで日本国憲法ではこのような税金、つまり経済的自由に対する制限をどのように考えているでしょうか?前回の論考を読んでいただけた方には予想がついていると思いますが…、結果は「最悪」です。
復習として、まず前回も登場した「二重の基準」論を見てみましょう。これは法律等による人権の規制が憲法に違反しているかどうかについて、「精神的自由は厳格な違憲審査基準を用い、経済的自由には緩やかな審査基準を用いる」という審査基準です(実際に経済的自由に対しては「厳格な合理性基準」を用いる場合と後述する「明白性の基準」を用いる場合がありますが、今回その説明は割愛します)。リバタリアニズムは精神的自由と経済的自由の価値に差はなく、財産権も不可侵と考えているので、それを踏まえれば、精神的自由・経済的自由両方の規制についてはともに厳格な審査基準を採用すべきですが、そうはなっていません。
今回はより深くその仕組みを見るために、憲法判例を覗いてみましょう。「サラリーマン税金訴訟」(最判昭和60年3月27日(民集39巻2号247頁))に注目してみます。
事件の概要は次のようになっています。原告(控訴人・上告人)の同志社大学教授Xは昭和39年度分の所得について申告義務があるにもかかわらず確定申告をしませんでした(当時の所得税法の規定によれば、給与所得者であっても、給与収入が一定以上の者は所得税の確定申告が必要でした)。そこで税務署長(被告・被控訴人・被上告人)はXに所得税の決定及び無申告加算税賦課決定を行いましたが、Xがこの取消しを求めて出訴しました。
Xの具体的な主張は、「決定処分の根拠である当時の所得税法の給与所得課税に関する規定は、他の所得者に比べて、給与所得者に対して合理的理由なしに重く課税するものであり、憲法14条1項の法の下の平等に違反して無効であるから、この決定処分も違法である」というものでした。
京都地裁・大阪高裁ともに原告の主張を排斥して、請求は棄却されました。そして、Xが上告した結果、これも棄却されました。以下、今回のテーマに関する審査基準についての判決要旨を見てみましょう(多少長くなり、また判決文特有の言い回しもあって読みにくいかもしれませんが、ご容赦ください)。
「租税は、国家がその課税権に基づき、特別の給付に対する反対給付としてではなく、その経費に充てるための資金を調達する目的をもって、一定の要件に該当するすべての者に課する金銭給付であるが、およそ民主国家にあっては、国家の維持及び活動に必要な経費は、主権者たる国民が共同の費用として代表者を通じて定めるところにより自ら負担すべきものであり、我が国の憲法も、かかる見地の下に、国民がその総意を反映する租税立法に基づいて納税の義務を負うことを定め(30条)、新たに租税を課し又は現行の租税を変更するには、法律又は法律の定める条件によることを必要としている(84条)。」
「それゆえ、課税要件及び租税の賦課徴収の手続きは、法律で定めることが必要であるが、憲法自体は、その内容について特に定めることはせず、これを法律の定めるところに委ねているのである。」
「したがって、租税法の定立については、国家財政、社会経済、国民所得、国民生活等の実態についての正確な資料を必要とする立法府の政策的、技術的な判断に委ねるほかはなく、裁判所は、基本的にはその裁量的判断を尊重せざるを得ないものというべきである。そうであるとすれば、租税法の分野における所得の違い等を理由とする取扱いの区別は、その立法目的が正当なものであり、かつ、当該立法において具体的に採用された区別の態様が右目的との関連で著しく不合理であることが明らかでない限り、その合理性を否定することができず、これを憲法14条1項の規定に違反するものということはできないものと解するのが相当である。」
つまり、租税に関する立法の合憲性は「明白性の基準」という極めて緩やかな基準で審査すべきであり、その理由としては第30条・第84条で憲法自身が課税要件等の内容を立法府に委ね、またその専門性や政策的・技術的判断から広範な立法裁量(立法に関して憲法上立法府に委ねられた判断の自由さのこと)を認められるべきであること等をあげています。
この判例の構造は「総評サラリーマン税金訴訟」等に受け継がれ、後の判例にも踏襲されています。
もう、お分かりだと思いますが…、税制に関して「憲法違反だ!」と主張しても、裁判所は十中八九、門前払いで相手にされないという結果になるということです。
このような悲劇を起こさないための一番の処方箋は、「国民の財産権を侵害する税金等に関する法律は作らせない!」ということでしょう。その点においても、twitter上で行われている最初に掲げたスローガンに伴う運動・行動が大切になると思います。皆さん、頑張って参りましょう!
参考文献
芦部信喜(高橋和之補訂)『憲法 第七版』(岩波書店、2019)
長谷部恭男・石川健治・宍戸常寿編『憲法判例百選I(第7版)』(有斐閣、2019)
工藤達郎編『憲法判例インデックス』(商事法務、2014) 等
中野浩幸「租税法規に係る違憲審査基準の適用についての一考察」(商経学叢第56巻第1号2009年7月)
小川一樹(@kazgrease)
憲法学評論家。昭和12年学会会員。法学修士(憲法学)。元高校教師。近著に『蓑田胸喜 天皇機関説攻撃論集』(2019年)『帝国憲法基本書現代語叢書第二巻 市村光恵『憲法精理』』(2020年、以上デザインエッグ社)がある。
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