何の競争も生まない学校運営は即座に廃止せよ


 高校生の一存として、またコロナ禍での身の回りの状況を踏まえ、この記事を書くこととする。


1.文科省はもういらない
  教育に関して学位があるわけでも、現場に携わるわけでもない役人によって教科書や指導要領が決められることに何の意味があるのだろうか。そんなことは各学校の裁量で決めるべきことではないのか。ましてや教育行政を司る文科省の存在は学生の立場から見ても不必要極まりない。それは今年度からセンター試験に代わって始まる共通テストに関して昨年、英語の民間試験採用や記述式採用に猛反発があった結果、中止になったことを見ても明らかだろう。

 そもそも既存のセンター試験を廃止し、新たに共通テストを始めることが最終的に決まったのは2016年(提言は2013年)である。にも関わらず昨年の一連の騒動まで全くと言っていいほど詳細な発表がなく、やっとの思いで発表したものの猛反発を喰らうほどの体たらくである。結局、実際の教育現場や受験生を引っ掻き回すことにしかならなかった。

 また近年、AO入試が一つ大きなテーマになっているがこれも対象である受験生の身としては甚だ疑問である。外部での課外活動やボランティアへの参加履歴がアピールポイントになるなら誰も真面目に10代後半の貴重な時間をほとんど割いてまで、詰め込むだけの勉強などしない。

 その他諸々、文科省の方針には拭いきれない疑問点や現場の教職員との感覚の乖離が十二分にある。前置きしておくが私は決して教職員の味方ではない。だがそういった大人達の不手際のしわ寄せを受けるのは我々学生なのである。

 2.競争を生まない補助金ビジネスの大罪
 学校教育の現場そのものもかなり酷い。そもそも公立も私立も国や県からの補助金を受け、ほとんど潰れることがない安泰の下で運営されている。ゆえにどれだけ教職員の個人的な思想に基づく一方的な主張があろうと理解不能な校則があろうと御構い無しである。


  コロナ禍に置いても対面での授業やキャンパス、学校内に行く回数は激減したのにも関わらず、特段説明も無いままごく僅かな減額のみ或いは満額で学費を徴収している。学校もキャンパスも閉鎖されているのに何の恥ずかしげもなく設備費や維持費まで徴収するなど言語道断であろう。これのどこが学生の方を向いている教育機関と言えようか。


 これでも運営し続けられているのはなぜか。

 3.規制も補助金も廃止せよ
  街を歩けば分かるようにどこもかしこも予備校や塾で溢れかえっている。ただそれらが学校運営と大きく異なるのは厳しい競争の中に晒されていることだ。それぞれが自らの特色を前面に打ち出し生徒集めに翻弄している。そして、学校に通いながら学習塾や予備校に通う学生も多い。その多くは学校の授業だけでは不十分だからという理由だ。

 もはや既存の学校では本分である学業さえ成立していない。学生やその保護者からしてみればほとんど他に選択肢が無いから通っているあるいは通わせている面は少なからずあるだろう。大学の凄まじいインフレ化も同じくだ。本当に学問に魅力を感じ、学問を修めるために目指す、通う学生が多くいるのかも微妙である。ましてその学問さえ教える機関はエスタブリッシュメントで一人勝ち構図であり、どこまで価値のあるものなのかも大いに疑問が残る。
そんな状況を何年も続け、教育行政・現場が如何に体たらくな運営でもゾンビのごとく生き残ってこれた一因は国をはじめとする公による規制や補助金があるからだ。

 私は何も「学びに価値がない」と言っているのではない。これまでの17年間の人生で学問や教養がいかに自分の心や思考を豊かにするか知っている。だからこそ様々な学びの選択肢を狭める規制や何の魅力もない、教職員の見識や思想に左右された指導やいい加減な運営でも生き残れる補助金ビジネスはやめるべきであると言っている。既存の教育機関を保護するのではなく全てフリーな状態にしてそれぞれが生徒を集めるために真剣に闘う場を作るべきだ。

 既存の環境下で教育を受けている立場として、必要なのは「選択肢」や「自由」、「競争」を妨げる一切の障壁を取り除くことであると思う。